No.9『土曜日の夜に電話をする人』

 

≪こんなお話です🐒≫

 

土曜日の夜に電話をする男の人のお話です。

(そのまんまかい)

 

こんにちは〜〜〜〜
こんばんは〜〜〜〜
おはようございます〜〜〜〜〜〜

 

あんどうです〜〜〜〜〜〜

 

今回はしばしば真面目な文章になっていると思います〜〜〜〜〜〜

 

 

 

私、毎週土曜日の夜に電話をする男の人がいるんです。
正確には、いました。過去形です。


その人は凄く凄く優しい人で

初めて会ったときは
「こんなに心の綺麗な人がいるのか」
と思って
本人の目の前で
泣いてしまいました。

 

自分で自分に引きました。

 

けど、あまりにも綺麗で
泣いてしまったんですよね。

 

「泣かないで」と
なんともいえない優しい顔で
言ってくれたことを覚えています。

 


はじめに伝えておきますが
怪しい関係性ではなく
お金を貰っているとかでも
お金を払っているとかでもないです。

 

お金を払って男性に会ってみたい気持ちはありますが (それはまた違う話)

 

 

その人は茨城県牛久市に住んでいて

住んでいるというよりかは
隔離されていて
その場所から出ることができなくて
けれど病気でもなくて
犯罪者でもない
健康で毎日筋トレばかりしている
ムキムキマッチョな
男の人です。

 

その人は在留資格を持っていなくて
日本に住む資格を持っていなくて
茨城県牛久市にある
東日本入国管理センターという場所の
収容施設に入っています。

入っていました。

 

収容所って
日本にもあるんですよね。

 

私はアウシュビッツだけだと思っていました。(これは普通に勉強不足)

 

収容施設の類は全然違いますね。

 


流れで分かった方もいらっしゃるかもしれませんが
その人は日本人ではありません。
外国人の方です。
けれど日本語がとても上手くて
泣いている私に
少し困った顔で優しい表情で
言葉を選んでかけてくれた
とても優しい人でした。

 

11年前に日本に来たその人は
日本で通訳の仕事をしたいと言っていました。
即戦力だと思いました。

 

昔は日本の法律が緩かったのか

オーバーステイ

暗黙の了解で許されていたのだと思います。

 

それが当時の普通だったのだと思います。

 

オーバーステイ

在留資格の延長手続きをすることなく、日本に居続けることです。

 

もちろん良いことではないです。

手続きをすれば良かっただけの話

というわけでもないのがこのお話。

 

罪の大きさでいうと

信号無視

と同じです。

同じではないか

けれど行政処分の類はこれと同じです

 

その罪でその人は

3年半、収容施設の中に入ることになりました。

高校生活よりも長いです。

 


2018年11月9日に

その人は母国へ帰りました。

日本で暮らすことを諦めました。

日本で通訳の仕事がしたいと言っていました。

その人には「結婚したい」と言ってくれている日本人の恋人がいました。

 

けれど3年半前

収容施設に入れられてから

なかなか会えないことから

恋人は離れて行きました。

少し悲しそうに

けれど妥当だというように話すその人は

凄く凄く

人間らしかった

 

今の日本には

その人と同じように

一度のミスで

信号無視で

何年も先の見えない収容施設での生活を

送っている人がたくさんいます。

 

これが今の

日本の法律です。

 

法律は正しいのかもしれません

その人と同じように

母国に帰ればいいのかもしれません

けれど中には

日本人の配偶者を持ち

子どもがいる方もいます

何で?と思いますよね。

私もまだ良く分かりません。

人それぞれの事情があって

とても難しいです。

何でなんだろう

 

もちろん

法律を否定する訳ではなくて

私の捉え方には

間違いがあると思うし

誤解を生んでしまうとも思います

 

この法律によって守られていることがあって

曖昧にされていることもあって

救われている人も

苦しんでいる人も

どちらも居るのだと思います。

 

 

けれど

土曜日の夜に電話をする人は

とても優しい人でした。

私よりも日本人らしくて心がある

そんな人でした。

 

それを一番

伝えたかったんです。

 

会いもせずに伝わるかって

思います

今の私の知識で文章力で

書いていいのかなと思いながら

 

思ったけれど

 

書きたかったので書きました

 

 


私はまだまだ勉強不足で

これを書きながら、

外国人の立場に立ちすぎていることも

「ちょっと違うのかも」と思いながら

書いていることもあります。

 

間違っているところがあったら

指摘してくださったら嬉しいです。

本当なの?と

疑いから入っていただけたらと思います。

 

私も疑いました

答えはなかなか出せなくて

けれど会ってしまったから

 

その人の人生の3年半を

私は分かることができません

 

けれどその人は

奪われる覚悟を持って日本に居続けました

希望を信じ続けた3年半だったと思います

 

 

けれど私は

その人が救われて欲しいと願いながら

その人を救おうとは思いませんでした

 

これが私の

一番許せなくて

許されなくて良くて

許されるであろう罪悪感です。

 

罪悪感ばかり

自分のことばかり

分からないことばかり

 

難しいです


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一番最近に撮った写真です

最近は写真を全然撮っていなくて

 

帰り道は本当に考えます

 

人の人生をこんな風に話してしまっていいものなのか

 

足りない知識ですが、考えたりしています

 

 

最後まで読んでくださいまして
ありがとうございました☺︎

No.8『お母さんとできること』

 

 

≪こんなお話です🐒≫
ザコンでありお母さんのことが大好きな私がお母さんとできること、お母さんとしたいことについて今現在考えていることのお話。

 


こんにちは〜〜〜〜
こんばんは〜〜〜〜
おはようございます〜〜〜〜〜〜

 

 

昨晩突然、手書きの名刺を大量生産し始めました

 


あんどうで〜〜〜〜〜〜〜〜す

 


欲しい人いますか〜〜〜〜?

(欲し〜〜〜〜〜い!)


わあ〜嬉しいな〜〜〜〜〜〜

 

 

 


今回は私が

 

お母さんとできること

お母さんとしたいこと

 

について考えている現在進行形のお話です。

 

 

私のお母さんは

幼少期から10代が終わる頃までアメリカで過ごしていたりして

 

友達があまりいません。

(ごめんお母さん)

もしかしたらいるかもしれません。

(私が知らないだけかも)

最近友達らしき人ができたっぽかったりして

(どうだろう)

 

ま、親のことを全部分かるわけないですね

 

誰でも一緒ですね

 

 

けれど
そんな風に思ってしまうのも

私のお母さんはとにかく子どもが一番で

私たちが一番で

そうやって思ってきてくれているところを

22年間見てきているからで


それで

最近たまーに

お母さんがおばあちゃんとふと被って見えたりすることが

あるようになりまして。

いつ頃からだかは分からないけれど

2年前くらいからかな

 

最近じゃなかったね

 

お母さんももう50代で

 

お母さんと過ごせる時間に限りがある

 

とかって、なんとなく思い始めたりして

 

お母さんに怒られそうだけど

 

 

誰とだって同じなんだけどね

友達だって

妹だってお姉ちゃんだってお父さんだって

どんな知り合いでも

いつかは別れることになるし

私がお先にさよならするかもしれなくて


そう考えた時に


お母さんとできることってなんだろう

お母さんとしたいことってなんだろう

お母さんがしたいことってなんだろう


と考えるようになりました。

 


でねでね、

 

お母さんのしたいことを

叶えて行こうぜぇ〜〜〜〜〜〜☝️☝️

 

という計画が私の中で始まりました。

 

 

ちなみに本心は

 

私のしたいことに

お母さんを巻き込んで行こうぜぇ〜〜〜〜〜☝️☝️☝️


です。(おい)

 


まあこれはもう無意識な計画です。

 

計画ともいわないレベルです。

 


まずは

実際にお母さんと一緒にどんなことをしたかっていう

思い出話を

勝手に
始めてみたいと思います。

結構たいしたことはないです。ははっ

 

ただ、全部楽しかったです。私が。(おい)

 

 


①花火大会へ行く


私のお母さんは花火が大好きなんですけど、一番上の姉が小さかった頃、花火大会に行ったら一番上の姉が花火を怖がってはっちゃめちゃに泣いたらしいんですよね。
多分そこから母は一度も花火大会に行けていなくて


毎年夏になると


「ちょっと花火見えた〜〜」
とか
「いつか近くで見たいな〜〜」


とか言ってたんですよね

 

まあわたし

ガンスルーですよね。(酷い)

 

そしてようやく今年、

行ってきました。

 

花火大会当日に

 

「行くぞ!!!」って。(計画性がない)

 

みなとみらいの花火大会に連れて行きました

 

なんだけど

目の前に木があるところに座っちゃって(おいおい)

少し花火が木に隠れてしまって(計画性のなさ)

 

なんだけどね、

それを物ともせず

 

「逆に楽しい (笑)(笑)」

 

って盛り上がる母と父と妹と私。

 

あ、4人で行きました。

 

いい家族だね。(計画性はない)

 

お母さんすっごく喜んでた

 

嬉しいものだね。

 

来年はちゃんとでっかい花火

綺麗に見ようね!!!(計画性)

 

 

 

 

②面白い映画に強引に連れて行く(おい)

 

 

なんか今日 (おい) ってツッコミ多いね

 

語彙力が皆無。

 

反省しつつ気にせずいきます。

 


面白い映画はね、

ただただお母さんに見せたいんですよ。私が。(理由)

 

1回目は私が一人で観て

 

うっわーおもしろ!!!!

 

って思ったら

お母さんを誘って2度目に連れて行くっていう感じです。大体

 

 

君の名は。」も
帝一の國」も
万引き家族」も
センセイ君主」も
「カメラを止めるな」も

 

そんな感じでお母さんを

家族を連れて観に行きました。

 

特に「カメラを止めるな」は、

お母さんがめっちゃ気に入ってくれて

帰りの車で

 

「連れてきてくれてありがとう」

って

 

いやまじその言葉が嬉しくてね

連れ回してしまうところ、あるね

って思いました。

 

映画史上一番観た後の帰り道が盛り上がりました。

お母さんと。本当に良かった

 

 

 


③桜を見に行く

 

季節の順序おかしいな。

ま、気にせず


春の桜も

まあ私が見たくてだな。

私の願望にお母さんを付き合わせただけです。

 

隅田川まで連れて行ったのに
若干桜が散っちゃってて。

 

凹みながら(私)
嬉しそうに(母)

 

地元に帰ったんですけど

 


地元に戻ったら

地元の桜が超超超綺麗で

結局地元でお花見して満足するっていう

 

幸せなお花見でした。(ここも計画性)

 

お母さんはいつでも楽しそうなんですよね。

 

そんなところにお父さんは惚れたのかな

 

知らんけど (あたたかい目)

 

 

 

 


③よくするお散歩

 

めっちゃ天気の良い日に

 

「散歩しよ!!!」って誘って

 

青空の下遊歩道を歩いて
初めましてのおじちゃんと仲良くなったり
帰りにケンタッキーを買ったりして
クラッシャーズも買っちゃったりして
食べながら?飲みながら?
帰ったりして

ただのほのぼのな日常。

 

けどお母さんが楽しんでくれるから

 

…私が楽しんでるんですけどね。ははっ

 

 

また違う日には

近所の大きい公園に

夕日を見に走ったりして (ごくせんか)


走った割に夕日がそうでもなかったりして (残念)


「絶妙だな」って笑ったりして (素敵)

 

そんで
アイスを食べながら
道路の真ん中を二人で歩いて帰ったりして(ダメだね)

 

 

 

ただの思い出話でしたね。

お母さんとこんなことをしたなっていうことをつらつらと書きました。

 

 

だけどまあ


そういう訳わからん思い出を

お母さんの中に残したくて

まあ完全に私のしたいことにお母さんを付き合わせているところはあるけれど (あっはー)

 

お母さんのためにっていうよりは

わたしはわたしのために

こんなことをしていたりします。はい。

 


わたしが楽しくないことは

そもそもやろうなんて思わないけど

お母さんのぽつりぽつりと言う願望は

できれば叶えていきたいなあって思います。

 

お母さんの記憶に

あとどれだけ

面白くて
意味不明で
愉快で

綺麗な景色だったり

初めましての誰かだったり

そんな思い出を残せるだろう

 

って、死ぬ間際かのようなことを言っておりますが(そんなことはない)(言霊)

 

そんなことを考えながら

生きております 今。

 

ちょっとおこがましいね

 

 

そして

仲が良いからこそできることではあって

お母さんが作ってくれた信頼関係

お姉ちゃんが作ってくれた道

家族みんなで作り上げたこの家族が

わたしはとっても好きです。

大事にしたいです。

 

もちろん不満とかお怒りとかペケペケとかは全然ある

 

言わないようにしていることも
触れないようにしていることも
もちろんある

 

それが正解かも
後々不正解になるかも分からぬまま

今を迎えているのですが

 

私は本当に家族に恵まれていることを自覚して
それを余すことなく
この環境が続く限りは
幸せでい続けてやろうじゃん!

 

と思うのです。

 

 

 

ま、それは置いておいて

お母さんとはこれからも

変なことしていきたいなって思います。

 

お父さんはどうした

って感じだね (わかる)

 

 

それはおいおい (おいおい)

 

 

 

 

まとめーーーーーー! 

 

お母さんのためにって思うと

押し付けがましくて嫌になってしまうから

自分のために

お母さんを巻き込むっていうスタンスで

お母さんと思い出をたくさんつくりたいなって思っている娘の

今考えていることのお話でした。

 

 

何度も言うけれど

お母さんがおばあちゃんに似てきたな〜〜〜〜とか思ったりすると

本当に

あとどれだけ
お母さんの記憶に楽しい思い出を残せるかなって

やっぱ考えてしまうよね


もうね、

絶対大事にしたい

私多分極端だから

上手にたくさんの人を大事にできないんだけど

もうお母さんだけは

限って言えばお母さんだけは


幸せになってほしい!!!!!!


っていう

お母さんが大好きであり

でも結局自分のことしか考えていない (それな)

そんな娘のお話でした。(二度締める)

 

 

けれどまだまだ

考えないといけない未来はあるよね

 

 


今日はいつもより少し短めの(これでも)

何を言っているのだか自分でもよくわからない

そんなお話でした。(三度目の締め)

 

 

冷静に考えて文章構成が下手なのよ

 

ちょっとそこらへん…

 

考えるのはやめました。(おーーーい)

 

 

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夏の工作

海まで行けないおじいちゃんに

嬉しいものなのか、私には分からないけれど

 


最後まで読んでくださいまして
ありがとうございました☺︎

 

No.7『私の体重変動記録』

 


≪こんなお話です🐒≫

私の13歳〜22歳までの体重の偏移を克明に記すと共に体重変動から私自身の生き方を考える私による私のための私私私のお話。(あっはー)

 

 

※今回バカ長い

 


こんにちは〜〜〜〜
こんばんは〜〜〜〜
おはようございます〜〜〜〜〜〜


この間、朝起きたら
家の中なのに季節の変わり目のにおいがして

とっても感動しました〜〜〜〜


あんどうで〜〜〜〜〜〜す

 

 


さっそくですが本題に入ります。


私の体重変動記録なんですけども!!


中学一年生〜大学四年生、歳がバレる!
(大抵の人は知ってるな!っは!)
13歳〜22歳までの体重変動を
ガッツリ書きますんで

「重っ」

とか、
思ってくれてオッケーでーす👌


そういえば小4のときに

男女の仲を深めよう!的な授業で
男女でおんぶし合って校庭を直線的に一周する。
みたいなのがあってさ。

そのとき組んだ男の子におんぶしてもらったんだけど

乗った瞬間、

「重っ」

って言われたな〜〜〜〜(切な)

当時は身長が高かったから

「そりゃ重いわ」

って感じだったんだけど

普通に考えて

 

 

 

失礼だぞ、小4の下山。

 

 

 

 

 

実名出してきたね。

怖いねこのブログ。


今でも勝手ながら
信頼している人なんですけどね。

 

 

あとで消そ。(消しませ〜〜〜ん)

 

 

そんなこんなで

まずことは中1から始まります。

ちなみになんですけど、

中学1年生から現在まで、

私の身長は変わらず158センチです。

細かく言えば158.5とかその辺りです。


小学生ときに背の順で一番後ろあたりを
牛耳る女子いたじゃん?

あれ全部わたし。

けど中学に入ってどんどん
「あれ、お前こんな小っさかったっけ?」
みたいに身長伸びなくなる女子いたじゃん?(多分いる)

それも全部わたし。

もうみんなに抜かされて抜かされて

ええ、

光栄ですよ。(なにが)


で、
話は戻って体重変動の記録。

まず、全部書いてしまいます!

 

 

中1初期 : 40キロ

中2初期 : 47キロ (いきなり増えたな!)

中2の夏 : 45キロ (ちょっと減る)

中3初期 : 48キロ (戻って増える)

中3の秋 : 47キロ (駅伝走って減った)

中3の冬 : 53キロ (あっはー!)

中3終り : 49キロ (意図的に落とした)

高1初期 : 49キロ (始まりはね…)

高1終り : 53キロ (あっはー!)

高2全部 : 55キロ (おっほーう)

高3の夏 : 52キロ (ちょっと減らした)

高3終り : 54キロ (とか55キロとか)

大1初期 : 54キロ (そのままだね)

大1の冬 : 58キロ (人生一番のピーク!)

大2の春 : 54キロ (戻ったネ)

大2終り : 52キロ (お、減ってきた?)

大3辺り : 51キロ (50〜52を行き来)

大4現在 : 49キロ (6年ぶりの40キロ台!最高!)

 


はい。

こんな感じです。

一番軽かったのが中1で40キロ。
一番重かったのが大1で58キロ。

…18キロ増えてますね。

怖。

今は49キロなので

…9キロ増えてることになりますね。


けど!

158センチ58キロを

「重くね?」
と感じる人もいれば
「軽くね?」
と感じる人もいて
「普通じゃん?」
と感じる人もいるわけです。

私としては、全然アリな体重だと思う。

私個人としては、
人よりちょっと顔が小さいから (お、いきなりの自慢)
158センチ58キロだと
顔よりも身体が大きくなってしまって
バランスが悪くなる。
と、思っている。

個人的な超理想は
158センチ44キロくらいで(超理想)
そのくらいになれば
私のこの小さなお顔でも(めっちゃ強調するやんな)(だけどお前丸顔やんな)
非の打ち所のない体型に見えるはずだろうと思っている。

とりあえず今は
6年ぶりに40キロ台に戻ってこれて


いやっほーーーーーい!!!!


って感じです✌️


で!!!!

私としては!!!!

ここからが本題です!!!!!

体重が増えた理由も

体重が減った理由も

自分では分かっておりまして。

ちなみに今は49キロですが

一番気楽に体重を減らせたのは

今なんです。(わーい)

自分の体重の重さに嫌悪して嫌悪して嫌悪してた

高校2年生〜大学1年生までの自分は

本当に苦しかった

先に言っておきますが、

体重が49キロまで落ちた理由は

「自分の体重を気にしなくなったこと」

「何を食べても痩せるんだよね〜〜〜〜私。」

と思い込んだことです。

 

…何もしてなくね?

 

本当にそうなんですよね。


運動よりも食事制限よりも


なによりも自己嫌悪が一番の敵だった。


ということに、21歳あたりで気づいた。

私の場合ではあるけれども。

 


そしてここからは

今までどんなダイエットをして

どのくらい減って

どのくらい増えたのかっていうのを

紹介していきたいと思います。


ちなみに
中3の終わりに2週間で4キロ減らしたのが一番頑張ったダイエットだった気がする。

 


さて!

先ほどの体重変動記録にツッコミを入れながら

体重変動の理由と
ダイエット事情を
書いていきたいと思います✌️

 


中1初期 : 40キロ

中2初期 : 47キロ (いきなり増えたな!)

はいここですね!7キロ増加!
これは運動部に入ったために筋肉が付きましたね。
あと少し脂肪も付いた。


中2の夏 : 45キロ (ちょっと減る)

2キロ減りましたね!
これは単純に夏バテで〜〜〜〜〜〜す。
夜ご飯が入らなかった。


中3初期 : 48キロ (戻って増える)

お顔が丸くなった。(今も丸顔)
体重を気にしていなかった時代です。


中3の秋 : 47キロ (駅伝走って減った)

ここが人生で一番絞られた身体してました。
まず、駅伝のために1ヶ月お菓子を一切やめました。
おかわりもやめて、ただ、お米だけは毎日食べろと言われていたのでお米だけは毎日ちゃんと食べた。
あと学校から家に帰ってから毎日ではないかもしれないけど7キロとか走ってた。
すれ違ってた人、いるよね?
みんなが受験のために塾に向かう中、
私は反対方向に走ってたね。
良い思い出。
あと駅伝部としては毎日大体10キロくらい走ってて
腹筋背筋の筋トレをしていたんですけど、
その結果背中のお肉がつまめなくなりました。

みなさん、ここ、私の中で大事なポイントです。

「背中の肉が、つまめない。」

って、意味わからなくないですか?
けど、確かにつまめなかったんですよ。
それほどに、脂肪が落ちたんだと思います。
でも、47キロ。
筋肉が付いた身体では、47キロが限界なのかなって当時の私は思っていた記憶があります。


中3の冬 : 53キロ (あっはー!)

47→53
ま、走るのやめたら戻るわな。
…増えたね。
受験勉強してました。
7キロ走るのはたまに続けていて
高校受験当日の朝も7キロ走ってたんですけど
隣の中学の野球部にナンパまがいに声をかけられて走って逃げた記憶があります。
高校受験当日の朝。
可愛い思い出。
雑談でした。


中3終り : 49キロ (意図的に落とした)

53キロから49キロまで
中3終わりの春休みに
これはちゃんとダイエットしました。
やった期間は2週間です。

①毎朝、朝ごはんを食べる前に7キロ走る
②おかわりをしない
③お菓子を食べない

これを2週間毎日続けて4キロ落としました。
ダイエットしたのには理由があって
長年片思いしていた男の子に
フラれる予定がありまして。←謎
どうせフラれるなら綺麗な姿で最後
彼の目に残したいじゃないですか。
…綺麗だったかは別として。
で、ダイエットしました。


高1初期 : 49キロ (始まりはね…)

高1終り : 53キロ (あっはー!)

パン屋さんでアルバイトを始めて
夜ご飯を夜の10時以降に食べるようになったんだよね。
で、疲れてソファーで寝てしまう、みたいな。

そら太るわな〜〜〜〜〜〜(涙)

部活もやってバイトもやってっていうのが
いっぱいいっぱいになってしまう人間だったから
半年で辞めたけど、
それが正解でしたね。
人ってそれぞれのキャパシティがあるよね。
私、あんまりキャパがないのよ。
今も。(キャパ問題はのちにまた出てくる)


高2全部 : 55キロ (おっほーう)

53→55
自分の体型に嫌悪嫌悪嫌悪の時代。
増えた理由はさっきと大体同じ。
運動部で動いてたはずなんだけどね。
けどやっぱ、
嫌悪から来るストレスでさらに体重が増えたんだと今は思う。

自分の体型に対しての嫌悪はまじで良くない。

と、今の私は思う。
制服を着なきゃいけないのも辛かった〜〜〜〜〜〜(涙)
出したくないのに足は出さなきゃいけないし。(お?)
「長めにすればいいじゃん」って思うやん。
できなかったね、あの頃の自分は。
長いとダサいと思ってた。
今思えば全力で膝丈にすりゃ良かったじゃんって思う。

大学受験のときに、
膝下丈だからこそ可愛くみえる制服を着ていた他校の女の子がいて、

「あの制服が着たかったな」

って心の底から思った。
受験の思い出はこれしかない。(え)

自分の高校のスカートは長いとダサいから、短くしてた。
ま、そんなのは自分のエゴっすよ。
自分のことが嫌いだと
色んなもののせいにしてしまいやすくなるのかもしれないね。

ま、こんな風に全てに嫌悪していた時代も今となっては悪くない思い出。


高3の夏 : 52キロ (ちょっと減らした)

55→52
大学受験のために夏休みは毎日塾で勉強していて
運動できないからどうせなら〜と思って
トマトをまるごと塾に持って行って
お昼に食べたりしてた。
美意識に目を向ける余裕があったらしい。
受験期なのにネ!


高3終り : 54キロ (とか55キロとか)

美意識に目を向ける余裕は消えていたね。


大1初期 : 54キロ (そのままだね)

大1の冬 : 58キロ (人生一番のピーク!)

いやーここですよ。
これはね、自分のキャパシティを遥かに超える習い事やバイトやサークルを詰め込みすぎた結果、全部ちゃんとできなくて嫌悪嫌悪嫌悪によるストレスから来るストレス太りだったと思います。今となっては。
全部が全部ちゃんとできなくて、中途半端で、当時関わってくださってた方々には本当に申し訳なく思うし、自分に対してもごめんって思うんだけど、
ここでやっと考えるのよ。

「私のキャパシティってどのくらいなんだろう?」

って。
その後習い事もバイトもサークルも全部一気に辞めました。
1からスタートさせたかったんですよね。


大2の春 : 54キロ (減ったネ)

58キロから54キロに減りました。
自分で作ってしまったストレスの根源をスパッと全部断ち切った結果、特に何かした訳ではないけれど、体重が落ちました。
自分のキャパシティを考えることが
私にとっては本当に本当に大事なことでした。
どこまでできるのか分からないから、どこまでもやろうとして、けどできなくて、嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪っていうループを作り出しやすい性格みたいで。
ちょっと完璧主義なんですよね。(え、お前それで完璧主義名乗んの?まじかよ、お前自分に甘々じゃん。って思ってる人、いるよね。分かる。)

完璧にできない完璧主義だから
しんどいんですよね。

自分自身でいらない完璧主義は削ぎ落としていきました。
と同時に、必要な完璧主義も一緒に削ぎ落としていきました。(おい)

ちょうどいい人間になりたいよね。
それが一番むずかしい、私にとっては。
この頃からだと思うんだけど、
頑張ることだけが正しいとは思わなくなったりした。
それまでは頑張らない人に対して「何で頑張らないの?」とか「もっと頑張れよ」とかって言ってしまう側の人間だったんだけど、それを死ぬほど悔やみました。
「どうして自分の思う正しさを他人に押し付けてきたんだろう」「正しさは人の数だけあるはずなのに」って、はちゃめちゃに思いましたね。

ま、そうは思っていても自分の思う正しさから自分自身が外れてしまうことは今でも全然あるけどね!

謎に語ってしまいました。(あちゃ〜)

あ、忘れてた。
大学一年生の終わりに
私の人生をかなり動かす一言をくれた男の子がいたんですけど、
自分の体型に嫌悪嫌悪していた時代で体型を隠すような服ばかり着ていたんですけど、
それに対してね、

「太いからこそ出すんじゃん」

って言ってくれた男の子がいたんですよ。
それで、サラッと

そうだなって。

隠してばかりだから私は変わらないのかって、謎に感銘を受けまして
足が出る服とか、露出の多い服をたくさん買って、たくさん着ました。
58キロから54キロあたりまで落ちた理由に、ストレスを取り払ったこと以外にもその男の子のおかげも入ってました。

大学2年生で徐々に体重が落ちていって、何よりも、
自分に対する嫌悪嫌悪が
かなり減っていた気がします。

露出した服を着るのって、

「太いのに恥ずかしい…」

とか思いながら着るのって不可能なんですよ。
そんなこと思ってたら世界歩けない。

「太いから何だ!」

って開き直らないと着れなかったんですよね、私の場合。

だから自然と自分の身体が太いことに執着がなくなったといいますか。
それで嫌悪も減ったといいますか。

自分の人生は自分で切り開かないとって思うけど動けないことの方が多いわたしにきっかけをくれた男の子には感謝しかないですね。

本当にありがとう。

君のそのズバズバ物を言うところ、正直嫌いだし苦手なんだけど好きだし大事に思ってる。私に物申してくれる人は貴方しかおらんのです。


大2終り : 52キロ (お、減ってきた?)

これはね、対人関係のストレスです。
身体に帯状疱疹もできましたね。
あとは大学2年生の終わりに撮影のバイトを3週間したんですけど、かなり動いて体力を使ったのか、家に帰るたびに「痩せた?」ってお母さんに言われてました。
お母さんに「痩せた?」って言われるのが結局のところ一番嬉しいのよね。
ザコンなんで💁


大3辺り : 51キロ (50〜52を行き来)

これも対人関係のストレスですね〜〜
大学で一人で涙が止まらなくて過呼吸になってしまったことがあったんですけど、その時に私にティッシュを差し出してくれた先輩がいて、
あの時は本当にありがとうございました。
声をかけてくれてありがとうございました。
本当に救われました。

何の話?って話をするんですけど、
私と関わることになってしまった誰かを物凄く傷付けてきたと思います。今まで。今もかも
私も傷付いて、それと同じように深い傷を負わせてしまったと思っています。
私の性格のダメなところも、
分かり合えないことがあることも、
私の接し方のダメなところも、
本当に考えさせられた1年でした。

私、重たいんだよね、性格が。

いちいち重たいから、それが無理な人は私のことが本当に無理なんだろうなと思うし私自身もそんな自分はまじでいらねえなって思う。

人は違うんだぞ〜〜〜〜って、
当たり前なんだけど
自分に問いかけ続けないとそれすらも忘れてしまうというか、余裕がなくなると自分の物差しでしか物事を考えられなくなるっていう、

ほんと無理なんだけど、この人。

っていうタイプの人間が私。

書いてて悲しくなるわ。
そうだね、
この頃はまだ
ネガティブでも良いと思っていた時代でした。
(この先突如ポジティブが現れます)


大4現在 : 49キロ (6年ぶりの40キロ台!)

はい!現在!
いや〜〜〜〜快挙です。
私的には大快挙です!
52キロから49キロに、落としたっていうよりは、落ちてったって感じなんですけど。
この文章を書いている今は多分50キロ台に戻ってますけど(おい)

けど、

それを全力で気にしてません!


色々ダイエット法は模索していましたが、52キロ→49キロまで落とす過程が一番ラクだったので、大事にしていたダイエット法(?)を書きたいと思います。

 

現在進行形で
今は一番これを大事にしています。
正直、全部考え方です。(嘘くさ)


①自分の体重の重さに嫌悪しない

(自分の体型に対して「痩せたい」「ダイエットしなきゃ!」「太い!」「無理!」とマイナス思考になりそうになっても、即座に「ま、痩せたいって思う方がストレスで太るし」(意訳:痩せたいと思うのにダイエットは続かない。その嫌悪からストレスがたまり太ってしまう。という悪循環のこと)なので「痩せたいって思うのや〜〜めよ♪」と、ポジティブ変換する。)

 

ダイエットとか運動とか食事制限とかを、今は全く無理にしてません。
というかできない☺︎(おい)
したくなったらする程度ですね。
ほんっっっとに超絶たまーに走りたくなったら7キロ走ったり。
あ、寝る前に筋トレとか私100%続かないので(続けられない自分に嫌悪してストレスが溜まって逆に太る)
そういうループは目に見えているのでそもそもやろうとは思わなくなりました。運動もダイエットも「やらなきゃ!」と思わないことが私にとっては一番のダイエット法。(嘘くさ)

自分のやる気の続かなさとか、
気に入らない体型に対して、
「嫌悪しない」
ということが宇宙一大事だと思ってる。

心と体の健康を保つためにもこれを一番私は自分に推してる。

自分に甘い?

あ、それはほんとにそれです (笑)

けれど、

苦しくなる尺度も、
自分に対して甘いと思う尺度も、
頑張れる尺度も、
全部人によって違うじゃないですか。

正しさの尺度も万人で違うじゃないですか。(これが今の私の正しさの尺度)

雑談挟むんですけど、
今の私の正しさの尺度って
変わる日が来るかもしれないし
そもそも間違っているかもしれないんだけど
私の正しさは私にしか作れないじゃないですか。
そしてそれを信じるのも私にしかできないじゃないですか。

で、あれ違うなーって思ったら
ちょっとずつ修正していけばいい

って話だよね?と、思っています。

 

いやもうこれは完全に私個人の意見でさらなる雑談を挟むんですけど

苦しくなるくらいなら逃げた方がいい。絶対。やめた方がいい。

苦しい道を選ぶことが
どの選択肢でも正解だとは思ってないです。

 

と、私はそう思うよ〜〜〜〜っていう話でした☺︎

 

そろそろ本題忘れたよね。

わたしも忘れた。

 

(気楽なダイエット法)
②何を食べても痩せると思うこと

私、夜の12時過ぎに夜ご飯を食べようが、ポテトチップスを食べようが、誕生日のケーキを食べようが、シュークリームを食べようが、

「それでも私、痩せちゃうんだよね〜〜〜〜」

って、本気で思ってます。

実際はどうかは知りません。
けど、夜の12時過ぎに妹とテレビを見ながらポテトチップスを食べ始めたとしても

「この時間にポテトチップスを食べるじゃん?………絶対痩せるよね。明日にはマイナス2キロだわ」

と、割と通常運転で
妹と笑いながら食べています。

いや本気で、
「食べたからこそ痩せる」って
ガチで思いながら食べてます。(やばい奴)

流石にマイナス2キロは思ってないですけど。


けどそのくらい、
「私は何を食べても痩せる」って
思い込んで食べてます。
信じて疑わないです。

ちょっとでも
「太るな…」
と嫌悪しながら食べてしまったら
逆に太る可能性が高くなると私は思っていて、

「何を食べても痩せちゃうんだよこれが!」

って本気で信じて
朝昼晩のご飯、間食のお菓子、大好きなチョコレート、食べてます。

何を食べても

「でも私、痩せちゃうんだよね〜〜」

はい。これです。


このポジティブシンキングで

実際49キロになった人がここにいる。(そんな話あるかーーーい)(ここにあったよーーーーーー)(ママーーーーーーーー)

 

あ、見た目がどうこうとかはここでは別としますね。(震)

 

けど、自分の体重とか、大食いなところとか、甘いものを食べるところとか、自分の運動のしなさとか、自分のそんな生き方とかに、
「嫌悪しないこと」が一番心と身体の健康に繋がると思うんですよね。

で、それを全力で信じてる。

自分に嫌悪しなくなったからか、

「ちょっと朝起きて一番に水を一杯飲む習慣を付けちゃおっかな〜〜」

とか、

「お風呂で髪の毛を洗いながらスクワット10回しちゃおっかな〜〜」

とか、

ポジティブに思い始めたりする。

で、

はい。

ここで大事なこと。

「苦しいことは、続けようとしない」

もう、続けられないことに対して嫌悪してストレスで太るくらいなら、

何もしないでポジティブに
「それでも痩せる」
って思い続けて生きる方が…………

 

痩せるかは知らんが生きてて楽!(無責任!)

 

そうさ無責任さ。
私は私で自分を苦しめないラクな生き方を22年かけて見つけたんさ。(22年もかかった)

時折、自分のダイエット法(考え方)に対して、(嘘くさ)ってツッコミを入れていたんですけど、

過去の自分がこの文章を読んだとしても

信じて実践することは多分ないです。

頑固だから。(切ない)

「未来のお前がなんと言おうと

今の私はこうですけど?」

みたいな人間だと思うから。(切ねえ)


そんな感じで

過去の自分からのツッコミを
(嘘くさ)
って書いてみました。

分からんものだよね。

今の私は嘘くさいとは全然思わないもんね。

ま、私が22年考え続けた結果がこれだから

信じてしまうんだけどね

自分を、謎に。

 


はいさいこんな感じで!

自分に嫌悪しない生き方をすることで
今の自分の在り方と
今の自分の体重を保っている

という、あんどうによるあんどうのためのあんどうのお話でした。


というか体重変動でこんな語る?
ってくらい関係ない話しまくったね。


といっても

体重変動と考え方、対人関係は恐らく
切っても切り離せないといいますか、私的には関係があるのだと思っております。


こんなダメダメな自分を許せるようになるまでに
というかそもそも別にダメじゃなくね?って思えるようになるまでに(おい)
22年かかった。私は。


いぇい


この生き方を生まれた時からできている人もいれば

そもそもこの生き方は自分の生き方ではないっていう人もいて


まじ千差万別。


私はここに落ち着きましたが。


それでもやっぱり
私の考えていることを否定されたら
すーーーーーぐ揺らぐし
「真っ直ぐだね」
って昔から言ってくれる人が多かったけど、
それでも、
自分の中の正しさを信じながら
本当に正しいのか自問自答しながら
たまに改正しながら
たまに自分の全部を否定したくなったりしながら

それでもポジティブに
生きていきたいなって
今の自分は思ってます☺︎

 


あ、これがほんとの最後で

もう誰しもお忘れかと思いますが

ネガティブからポジティブになった理由なんですけど、

まじで唐突にジャニーズWEST
重岡大毅の言葉を出すんですけど


「だって、ネガティブになるの、一番簡単だから。ポジティブになる方が難しいじゃないですか。ポジティブな人の方が強いんだなと思ってから、そういう人に(あり方として)近づこうと。 そういう考え方に近づこうという姿勢ですね。 そこにゴールはないから、ずっと歩み続けてる感じです。」


どなたかのはてなブログから

引用させてもらったんですけど、
これを読んで、


あ、私、ポジティブに生きたい。


って思って

ポジティブシンキングに移行しました。(自主的に)


そうか、
ネガティブでいるよりも
ポジティブでいる方が難しいもんな。
これは難しい方を選びたいな!

 

っていう、それだけ。(単純)


もちろん、
難しくない方を選ぶ生き方も絶対にあっていいと思っているんですけどね!

どの選択肢でも
難しい方を選ばなきゃいけないなんてことはない(2回目)

そう思っているので


ただ私は、
これに関しては、
ポジティブを選んだってだけですね。

 

 

だから今の私、

 

ジャニーズWEST

重岡大毅さまさま。(尊敬)

 

 

そんなこんななお話でした☺︎

 

 

今回ばり長かったわ。

 

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この前入間航空祭に行きました。

「人間ってすごい」

と終始言っていました。

 

 

最後まで読んでくださいまして
ありがとうございました☺︎

 

No.6『小学生は危険な遊びがしたい』

 

≪こんなお話です🐒≫

私が小学生の頃にしていた遊びをただただ振り返るお話です。


こんにちは〜〜〜〜
こんばんは〜〜〜〜
おはようございます〜〜〜〜〜〜

 

 

本日は!
私が小学生頃に
して良かったなあと思う遊びを

勝手に書き出していこうと思います☺︎!

ま、子どもなんて
やってはいけないことをするのが
楽しくてしょうがないものだから

「ちょっとそれ道徳的にどうなの?」

みたいな遊びめっちゃ出てきますが

それはね、

まあね、

 

時効だよね。

 

✌️

 

 

まず一つ目。
①マンション内でドロケーをする遊び

 

はい。初っ端からダメですね。
管理人さんに怒られます。
私も友達もえーらい怒られました。

みんなも普通にやってたかな?

だけどこれ大好きだったんですよ〜〜〜〜
階があればあるほど楽しいし
階段も使えるし
エレベーターも使えるし

自分がドロボーのときに遠くの別の階に歩いているケーサツが見えたりしてねっ!(ワクワク)

階段で突然ケーサツに出くわす、みたいなねっ!(ワクワク)

 

ちょっと勝手にワクワクし始めました。

 


ま、とにかく
マンションでするドロケーは楽しかったです。

ごっこでもドロケーでもなんでも
楽しかった。

 

いつだか
マンション内と
マンションの外の広場の両方を使ってドロケーをした時、

マンションの一階の柵を飛び越えて
外の広場に出るっていうのを
男子たちがやっていて
一人の男子が
一階の柵を飛び越えたと思ったら、

なんとそこ、二階でした。

ということがありました。

まあ普通に落ちていきましたよね。


幸い足を痛がってはいましたが、
人間丈夫にできているようで
その後も普通に走っておりました。


そう、マンション内の鬼ごっこは純粋に


危ないっす。


住人の方にも
迷惑をかけてしまう可能性がありますし
やめた方が良いですね(今さら)

マンションの外に広場があれば
マンション内ではなく
そこを使って遊ぶのが一番ですね

正しい遊び方。

まあ、だけれども、

 

マンションを使う鬼ごっこはやっぱり


楽しかったですね!(満面の笑み)

良くないけど!

 

 


そして二つ目。
②屋根から屋根に飛び移る遊び

 

はい。これもダメなやつですね!

一応、一般のご家庭の屋根ではなく
私の場合
小屋と小屋の屋根って感じでした。

できたら一般家庭の屋根から屋根へも
飛んでみたかったものです。

 

 

小屋から小屋といっても
二階の屋根から一階の屋根に飛ぶ、
みたいなことをしていたので

普通に危なかったですね。


けどそれがね、またね、

楽しかったです。(おい)


皆さんもやってましたか?


これを仲間うちでやり始めたのは
多分私なのですが

やっちゃいけないことをするの

大好きだったんですよね

というか

やっちゃいけない遊びが

浮かぶ浮かぶ。(アッハー)


これも大人に注意されたりしながらも
やめなかった記憶があります。(最低)


「バレずにやってやろう」
という心意気でしょうか。
(ま、バレてるんですけど)

 

今となっては
大人の皆さま、お手間をおかけして

 

…ごめんね(照)


といった感じです。


全ては怪我なく無事だったから
良かった話なんですけどね!

無事じゃなかった場合もまた
それは学びということで!(違う)

 

 


そして三つ目。

これは学校内で、
そして遊びではないのかもしれないのだけど

③屋上の鍵を開けて外に出る遊び


ですね。
私の母校の屋上の鍵、
ハサミで開いたんですよ。(おい)

というかハサミで挑戦しようとする私がまず (おい) なんですけどね。


雨の日にハサミで屋上の鍵を開けて

外に出て空を見上げて雨を浴びたのは
結構いい思い出です。

当時小学5年生でしたが

完全に厨二っすね。

一緒にバカなことをやっていた友達も
屋上に出ることに関しては
「流石にやめた方が良くない?」
と言っていたけれど

私としては、上記の2つよりも
身体的な危険さはほとんどないので


全然ありでした。(おい)

 

結局、
工事か何かで屋上の鍵が変わって
開けられなくなってしまったけど


そもそも屋上までの階段も立ち入り禁止でしたよね、基本。


立ち入り禁止の階段で
友達と息を潜めて
先生が素通りするのを見ていた記憶があります


ほんと、

やりたいことをやりたいようにやってました

悪いことをしている自覚も
そんなになかった (クズですね)


「私が勝手に一人で屋上に出たところで
誰も傷つかないよね?」

「ってことは、ありだよね?」


といった感じで
独特な自己中心的考えをしていました

まあそもそも

あの頃は物事をそんなに深く
考えていなかったと思います。

 

 


で、四つ目。
これは放課後の学校ですね。

 

④学校侵入


正確には、
体育館裏にある

学校の敷地を囲う柵の向こう側が

茂みになっていて
それを茂み側から柵をよじ登って
学校に入る。

っていうだけのことなんですけども。

 

文章での説明が下手でごめんね!

 


それを学校侵入って呼んでました。


人間て永遠の厨二病だね。


厨二病って普通だよねむしろ。


私が通っていた小学校は
坂の途中にあって
だから学校の裏側にかけては
5メートルくらいの高さのブロックでできた

塀の上に学校がある、みたいな
そういう造りで

そのブロックの上に茂みが広がっていて
柵があって
体育館裏がある。
って感じです。

 

学校の裏に

ブロックの上の茂みまで登れる階段があったんですけど
誰も使っていなくて
階段を上がったらそこは茂み。道はない。
って感じだったので、

誰も使っていないその階段をのぼって、
茂みをかき分けて、
2メートルくらいの柵を乗り越え

体育館裏に辿り着く。

というね、
なんとも回りくどい遊びをやっていましたね。


普通に正門から入れや


ブロックの塀に囲いはなかったため
足を踏み外したら5メートル下の道路に落ちる
という感じだったんですけど

落ちませんでしたね。✌️

ヨカッタヨカッタ。

 


今となってはもう
裏の階段は取り壊されて
なくなってしまったんですけれども。

 

だからもう、簡単にはのぼれないんですよね


 

簡単には。

 


あとは同じような感じで、
小学校に隣接されたプールに侵入とか
隣接された幼稚園に侵入とか
よくやってた気がします。

外での遊びってまあ

何やっても危ないとこありますからね〜〜

 

 

 

そして五つ目。


⑤近所の道路で騎馬戦、リレー、缶蹴り、氷おに、ろくむし、ドッチボール等々

 

まとめて書きましたが
この辺りは健全ですね!

 

ただ、真夏の道路の上を
裸足で走るという
熱さ耐久レース、
みたいなことも謎にやってました。

コンクリートの上なのに
缶蹴りで缶を蹴るためにスライディングする子もいましたね。
それでいて怪我はしない。

謎のスライディングの才能。


私の家の隣が森になっているため
行き止まりになっていて車が全然通らなくて

遊ぶにはもってこいの道路でした。

恵まれた近所でした。

 

 

 

そして六つ目。


⑥森で遊ぶ

 

普通ですね。
家の隣の森でよく遊びました。

木の根元に蜂の巣ができている木があったりして
その横を通るのが怖かった思い出。

今でも怖いですね。

「蜂いるなあ〜」
と思いながらも横を通り過ぎていたので
よく刺されずにこの歳まで来たなあと思います。

そしてこの歳になっても
たまに森に出向いてしまったりする。


雪が降ると今でも行きますね!

今年の冬もお母さんを巻き添えに
雪にダイブしたりした。照


遊びとしては
竹を木に立てかけて
秘密基地を作ったりとか。
ま、秘密にはなってなかったですけど
そんなもんですね。

森でたけのこ取ったり。
今となっては若干犯罪だったんじゃないかと思うけど
森の所有者のおじちゃんが
気付いていながら
許してくれていたのだろうと思います

(ありがとうおじちゃん)

 

竹が切られた断面の上に座ってしまった友達がいて
太ももに竹が刺さってしまっていたなあ…

ショートパンツは危険ですね。

森は季節関係なしに
長ズボンだなと思いました。


あ!あと一番怖い思い出が!


防空壕に入る」

ですね。

田舎の子は全然入ってたのかな?
どうですか?
ちょっと分からんけど!

子どもながらにちょっと…入れ…る?みたいな入り口の小さい防空壕があったり、

完全なる2メートルくらいの落とし穴みたいな防空壕もあれば

斜面に沿って掘られた
中に入ると
直径5メートルくらいの広さのスペースがある防空壕もありましたね

高さが無いからしゃがんで入っていたんですけど、
天井に懐中電灯を当てたら
見たこともない虫がブワァーっと天井に広がっていて

 


ギャアアアアアアアアアアアアワアラワラアアアーーー!!!!!

 


って感じで逃げ出して以来、
防空壕には入ってないです。あは。

なんかね、足がめっちゃはえてて
5センチ以上ある虫

なんなのかは分からないけど

気持ち悪かったな…

あれに似た虫、時折家にも入ってくるんだよな…

森が近いんでね…


そしてその防空壕になんと

チリトリを置き去りにしました。

今もその防空壕の中に眠っていると思います。

…ごめんねチリトリ。

 

はい。

こんなもんですかね!

してよかったなあと思う遊び!

 

思い返せば
人工的に造られたコンクリートの川に
下水管?かな、そこから入って
出られなくなったこともありましたね。

困って川沿いをしばらく歩いてたら、
奇跡的すぎるんだけど
ハシゴが川の中に落ちてて(謎)

そのハシゴを使って
無事に出られたという。

…ハシゴって普通、川の中に落ちてないですよね。

ありがとうあの時のハシゴ。

助かった。


あとは大きい公園で野球したりとか

そんなかな?

木登りはよくしてたな
好きだった。

木から飛び降りるときにさ、
足が引っかかってお腹から落ちるときあるじゃん?(あるんだわ)

あれ、
まーーーーーーーーあ息止まるよね。

他にも
校庭で後ろ走りしてて振り返った瞬間に
鉄の遊具におでこが直撃して
めっちゃ腫れる。とかね。
友達は笑ってるし、私は泣いてるし、
みたいなね。

思い出すと最高っすね。(痛かった)

だからかなんか

そうなんです。

 

遊び切った感はちょっとある。(どやさっ)

 

まだまだできた面白いこと、
あったと思うけどね。

 

そんなこんなで

小さい頃にしていた遊びのお話でした。

私のむかし話を延々と書いただけですね。

やってはいけないであろう遊びを
推奨する訳にはいかないけど
そこで怪我するなりなんなりして
学んでいくんだろうなと思います。


今でも立ち入り禁止区域に
友達と入っていくこと


……

 

あるのよね。


立ち入り禁止区域というか、
人が踏み入らないところ、ですかね

この歳になるとやっぱ
「これは逮捕案件かもしれない」
と頭によぎるので
そんなにアホみたいなことはしないですけど


「何やってんだろあの人たち?」

と、子どもも大人も思うようなことを

 

できればやっていきたいですよね!

(真顔の笑み)


それに未だに付き合ってくれる友達
ありがとうですわ (サンキュー幼なじみ)

 

けど、今までに書いてきたことって全部

実際今でもできるのよね。

大人になってからでもできる。

…学校侵入はちょっと考えた方がいいかもしれないけど 笑

 

そんなこんななお話でした。

みんなもやってたかな?

案外普通だったかもしれないけど
楽しかったですよね、こういう遊び!

 

私が上に書いた内容よりも

もっともっと
健全だけれど危ない遊びやってたよって人、

是非教えて欲しい!

そんで


「うわあーーーーーーーーー
それ私もやりたかったーーーーーー(悔)」


って思いたい。笑


自然豊かな川とか海とか山が近くにあった人は
また違う遊びをしてきたんだろうなあ。


…知りたい。

教えてください☺︎


そんなこんなで

終わりますね☺︎

 

今からでも、

やりたいことがあったら
私と一緒にやりましょ。

 

お金を使わない遊びが
やっぱり楽しいです。

 

だから趣味が散歩になるんだわな。

 

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先日どうぶつの森のレベルが100になりました。

 

わーい

 

 

最後まで読んでくださいまして
ありがとうございました☺︎

No.5『運転免許を取った理由』

 


≪こんなお話です🐒≫

運転免許を取るために通常のお金の倍を払っているクズ人間(お察し)が免許を取るまでのお話 (withあんどう家)

 


こんにちは〜〜〜〜
こんばんは〜〜〜〜
おはようございます〜〜〜〜〜


 

あんどうで〜〜〜〜〜〜す

 

運転免許を取るまでの話って

友達同士とかでも
そこまで深く掘り下げて話すようなことでも
ない気がしている

きっと人生の中でも

そう大したことのない出来事に
分類されるような気がしている


そんなことは、ないかいっ?(愉快な口調)


運転免許って
ご家庭に車がある人とかは
18歳になった時、大学生や専門学生になった時、働き出すまでの
時間がある時に
または
時間を割いて
取りに行くものだと思うんですけど(主観)

 

はい

 

わたし

 


「運転な〜」

「別にしたいとも思わんしな〜」

 


こんな感じで
近々取り損ねることになります。はい

 


私の姉二人は
18歳になったタイミングで
サクッと(私の主観)
免許を取っていて

わたしも18歳になったらすぐに
取るものだと

思って

いた。

しかし

姉二人は
指定校推薦等で
高校生のうちに免許を取っていたけれど

私は一般受験で
高3の3月まで勉強をすることになっちゃったりしていて
当時は免許のことなんざ考えていなかったんですね


そして

あらよっと晴れて大学生になってからも


そういえば免許取ってないな

いや、でも欲しいと思わんしな

 

ま、ええか。

 

そんな感じでスルーしておりました。


けどなんとなく
姉二人が取っているから

私としては

我が家的には

「取らないといけないもの」

なのではないかと
私は勝手に思っていて


大学1年の春休みに
教習に通いはじめました。

 

 

仮の免許を取るための
折り返し地点。
そう、仮免試験を私、
受けないまま

免許を取ることのできる有効期限ってやつを

乗り過ごし

はい

27万円程
ドブに捨てました

(はいここで全力でええええええーーーーー!!?)

 


そう

世の中にはこんなクズがいるんですね(私)

流石の私も20年そこら生きてきて
ようやくここで自覚しましたね


「あ、わたしクズだったんだ」


今でもね
できれば私はクズではないと
認めたくはないんだけれど

 

まあ

 

どう考えてもクズだよね(同情の余地)

 

しかもお父さんのお金(ないですね)

 

最&低ですね。


生きていてごめんなさいって

使うべき用途は今だと思う(個人の見解)

 

なんだけど
どうしても教習所に行きたくなくて

勉強乗り気にならなくて

期限をサーっと乗り過ごしたね。

いや、乗れてはいないか(車に)


あんま上手いこと言えてないね

 

 

っていうかほんと

自分が免許取るって言い出してねえ?

親にお金払ってもらってねえ?

ほんとどうしようもねえ奴だな!

と思います。

(心臓から涙)

(お父さんのお財布から滝の涙)

 

なんでそうなるの?謎い

っていう感覚の人の方が多いのかな?

「クズすぎる…引く…」

と思いつつも

読み進めてくれたら

嬉しいよ(優しさに漬け込みたい)

 

もし次に免許取ろうってなったら

自分で稼いだお金で通って

お父さんに払ってもらったお金は返そうって決めたけど

けどやっぱり
「免許取らなきゃ」
とは思っていたけど
「免許が欲しい」
とは思えていなくて

そのまま何事も無かったかのように
学生生活を歩むんですけど

 


その後しばらくして

「免許、取ろう」

と決意する日が

やって来るんですね。

 


その日の記憶は
それほど残っていないのだけれど

朝起きたら
いつも5時くらいに起きて
朝ごはんとお弁当を作ってくれている
お母さんが
体調が悪くて
起き上がれなくなっていて

家族全員あわあわしてしまって

 

病院に連れて行こう

 

ってなったんです

その日は平日で

私以外みんな学校や仕事があって

私が連れて行けたら良かったのだけれど


免許、持ってない


一番上の姉が会社を休んで
お母さんを病院に連れて行くことになりました


いつも元気なお母さんだから
本当に心配で
家族全員心配で

けど私は

 

私が運転できれば
姉が会社を休むことはなかったんだな

 

って

家族の中での私の存在意義というか

そんなものを考えていました。


こんな時すら自分のことを考えている

そういうところが一番クズだぞ!!!!

と、全力で自分に指を差しています。

ため息を吐き捨てるわ

 

幸い
お母さんはその後
病院で薬を貰って
少し安静にして

元気なお母さんが復活しました(本当に良かった)

 

というような一連の出来事があって

こんなことがあって

私は

いざという時に
家族を助けられないんだ

ということに気付いて

免許を取ろうと

決意するのでした。

 


存在意義とかは後付けで

その時は純粋に

 

家族に何かあったときに
動けるようになりたい

 

っていうのが

免許を取ろうと思った理由だと思います

 

はい。

そしてその後

だけれども
教習所に通うのは無理だなと思い
そして一人で頑張るのも無理だなと思い
私自分に激甘いしな、と思い
友達を誘って
合宿免許で
2週間ちょっとで免許を取りました。


3週間もしないで免許って取れるんだね。驚き


1年間くらい
教習所…教習所…

って思い続けていた日々が謎なくらい

サッと取れましたね

(頑張り屋な友達に助けられました)

 

そんなこんなで

現在は教習代をローンで返済中です

お父さんにも
完全なる安心なるお金の余裕ができたら

すみません ありがとう

って返そうと思っています

 


何かあってからでないと
気付けない 動けない

そんな人類の典型がこの私ですね(悲しい)


しかも何度も繰り返すんだな(しんど)


多分、学ばないと思う(おい)

けど、何かのきっかけで

思い出すことはあると思う

 

もしあの時

お母さんが起き上がれない状況で

私以外の家族がそばにいなかったら

私は救急車を呼んでたかな

どうだったかな

分からないけど

最悪の事態を考えたりする


そんなことを考えたりする


私の運転免許を取るまでのお話でした。

 


<雑談>

 

最近部屋の掃除をしていて
大学受験の前日に
大事な友達が家まで渡しに来てくれた
応援のメッセージが書かれた手紙を
読み返していたんだけど

涙腺にくるものだねえ

大学受験の前日に
手紙を読んで号泣したなあ

って、回顧した

 

誰かからの
いつの時代かの気持ちが
今はもう無いとしても
その時は確かにあったんだっていう
事実だけで
記憶だけで
人の背中を押すんだなあって

手紙ってすげえなって


思った。

 

ちょっと文章が感傷的だね

 

 

 

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(花のち晴れ中田圭祐演じる栄美杉丸より)

 

おわり☺︎


最後まで読んでくださいまして
ありがとうございました☺︎

 

No.4『容姿コンプレックス』

 

≪こんなお話です🐒≫

太ってしまった体型へのコンプレックスと大事な人からかけられる言葉のお話。

 

こんにちは〜〜〜〜
こんばんは〜〜〜〜
おはようございます〜〜〜〜


3日連続で
お昼にインスタントラーメンを食べている


あんどうで〜〜〜〜〜〜す

 

 

あんどうで〜〜〜〜〜〜す

 


第4回『容姿コンプレックス』


私ごときが
言えることではないかもしれないんですけど

容姿へのコンプレックスって
結構しんどいですよね


私は小学生の頃、
顔はまあまあ整っていて
(自分で言う)
身長も高くて
(小6で止まりましたが)
体型も細くて
(中1で太りましたが)

友達からも
友達の親からも

「可愛いね」
「美人だね」
「色気があるね」

とかって
言われ慣れたりしていて

容姿へのコンプレックスが

欠片もない人間でした。(しんどい)

 

自分の写真を見て

「可愛いな」って

普通に思ってるような人間でした。

(リピートアフターミーしんどい)

 

まじでやべえやつでした。

 

 

小学生の頃の私は

 

勉強は簡単にできたし
足も速かったし
美術もできたし

なんていうか


割と無敵だった


と、思っている(自称)

 


「そうでもなくね?」

と思った人、

ありがとう。

 

その感覚が普通です。

 

ちょっと自画自賛が過ぎるタイプだったのかな?

 

そうかも、

けどこれが、

私にとっての

普通でした。

 

「お前ごときの顔面で?」

 

って声が

聞こえてきそうなんですけど、

 

ほら、

 

そこは

 

(自称) なんで

 

可哀想だなって思ってやってください

 


ま、そんな感じで

自分のこと

ちょっと無敵だと思っていました。

思い通りにいかないことなんて
ほとんどなかったし

そういう

小学生時代を過ごしてた

 

 

けど、
中学生になって

「あれ、私、そんなに可愛くないな」

って気づく時が来るんですね

「あれ、私、そうでもない」

って

 

足の速さも、
美術の出来も、
勉強も、

「私って、別に凄いわけじゃない」

って、全部に気づく時が

くる。


この感覚が分かる人
多いんじゃないかなって
私は思うのだけれど

 

どうですか?


そして

高校生になった私は

急激に恐ろしく太りまして

 

母親から

「脚見せないでくれる?」
「スカート履かないで」


嫌悪たっぷりに
言われたりして

容姿へのコンプレックスが
ものすごいことになりました。

高校時代を思い出すと
全てが容姿へのコンプレックスに
繋がってしまうくらいには

良い思い出を思い出すことが難しいくらいには

高校時代の自分のことが

大嫌いになっています。

思い出を全て

否定する訳ではないんだけれど

 

あ、今

「じゃあ痩せろよ」

と思った方、

ほんとそれな。

高3の時に通ってた塾の後輩に

どちゃくそ細くて可愛い女の子がいたんだけど

その女の子が
「痩せたい痩せたいって言ってる友達がいるんだけど、お菓子食べてるんだよね〜」

「痩せたいなら食うんじゃねえよ」

と、

真顔で言っていたことを

たまに思い出します。

ほんとその通りですわ、って

土下座したくなった

 

けど

無敵だと思い込んでいた私が

その後

ばっちり太ってくれて

周りにデブって言われて

昔の方が可愛かったって言われて

親に脚見せんなって言われて

好きな人に脚太いって言われるようになって

ほんと良かったなと
思っていたりする

 

言われてきた人

多いと思うけどね


結果として

容姿に対して

コンプレックスが無い人の気持ちと
コンプレックスが有る人の気持ちの

両方を私は
知ることができた、と、思ってたりする

お前ごときがって
思うかもしれないけど

みんな同じ感覚を
知っているのかもしれないけど

 

肯定されてきた容姿から
否定され続ける容姿に変わって

相当

ひねくれました。


正直なところ

容姿へのコンプレックスが

自分の性格を

相当ダークにした。


あ、これは完全に自分が悪いんですけどね?

私の体型に関しては。

他人の生まれ持ったものに関しては

私は何もいうことはできないです。

 

だから、
すごく思う

 

母親とか
好きな人とか
大事な人に

容姿を否定されることが
凄く凄く
辛いってこと


クソ当たり前なこと言ったね

けど、

私は今でも

容姿のことを
言われて傷ついたのにも関わらず

大事な人に対して
好きな人に対して

容姿を否定してしまいそうになることが

ある

というか

したことがある

してきたと思う

私は、

傷付いた自覚もあるけれど

傷付けた自覚も

残念だけどある

 

きっと
大事な人にほど
好きな人にほど

完璧でいてほしいと
思ってしまうんだと思う

私の理想の貴方でいてほしいって

あれこれ要求してしまったりして

結果、傷付けてしまうんだと思う

なのに

大事な人にほど

好きな人にほど

「傷付けたくない」って

本気で思ってるんだよね


ほんと、

なんていう

矛盾。


当たり前のこと喋ってるなって
思っている人、

私はこれに気付くのに

22年かかるような人間でした。

気付ける人がいるように

気付けない人がいることも

受け入れてほしい

と、自分に向けて

語りかけている。

忘れそうになること

多々あるんだよね

 

だからなるべく、

なるべくね、

大事な人の容姿を
否定しないでいたいなって
思う

大事な人にほど
完璧でいてほしいって
頑張り続けていてほしいって

私も
思ってしまうこと

あるんだけど

 

🌾そもそも自分ができてないのに

人には要求するっていう最低さについて語り合いたいよね。わかる。

なんて人だよ。

 


けど、

やっぱり

否定されたことって

多分一生残る。


母親に
「脚を見たくない」
って言われたことも

当時好きだった人に
「脚が太い」
って言われたことも

友達に
「昔の方が可愛かったね」
って言われたことも


全部全部


ちゃんと残ってる

 

期待を込めてくれているのも分かる


「痩せれば可愛くなるよ」


その言葉も

期待を込めて言ってくれていること

伝わってる


少し痩せた今、

お母さんに

「綺麗になったね」

って言われて

凄く凄く嬉しかった

短パンを履いても

スカートを履いても

脚を見せても

何も言われなくなった

否定されなくなった

嬉しかった


けど、

やっぱり


大事な人であろうがなかろうが

 

容姿を否定するのは

ダメだと思う

絶対に

ダメなんだと思う

 

大事な人だとより一層、
期待を込めて

もっともっとって、

言ってしまいそうになるけれど

それでもやっぱり

大事な人にこそ

私たちは

期待よりもまず

今の姿を

肯定し続けないといけないんだと思う

それが

未来の大事な人を

守ることになるんだと思う

 


「全部好きだよ」

「どんな貴方も」
「全部全部好きだよ」


そう言い続ける
誰かにとっての
大事な人でありたいなって

思ったりした

そんなお話でした。

 

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水たまりと自転車

 

 

みんな生きててエライ!

すごい!!

すごいよ!!!

 

唐突に言いたくなる

言われたくなる言葉で締めました。

 

 

最後まで読んでくださいまして
ありがとうございました☺︎

No.3『あざといことをする』

 

≪こんなお話です🐒≫

中学時代に自覚をもってした「あざといこと」懺悔のお話。

 

こんにちは〜〜〜〜
こんばんは〜〜〜〜
おはようございます〜〜〜〜〜


ちょっと言いたいこと言っていいっすか?

携帯に向けてなんですけど


おいメモ帳!!!!

私の書くスピードに付いて来いよ!!!

わたしはいま!!

ブログの文章を書いてんの!!!

なんならひとり校閲してんの!!!!

見直しだよ見直し!!!!!

つっまんねえって思いながら書き直してんだよ!!!!!!

しんどいんだよ!!!!!

わたしに力を貸してくれよ!!!!(物乞い)


スマホに話しかけています。

文字を打てるだけありがたいと思えよ

自分に話しかけています。

 


さてと本題に

いこっさっ!

チアダン、やろっさっ!

 

今日の話はまたまたまた実話。

基本実話しか話すことないっすけどね


あ、妄想?

 

そりゃあもう恋愛経験ほとんど無い私からしたら
妄想なんてもーーーーーーう

 

 

得意分野っす。

 

大得意。

現実で無理な分

妄想で駆け抜ける。


いっけえええええええーーー!!!!


って
時をかける少女ばりに

駆け抜けてやりますよ。

 

 

 

『あざといことをする』

 

あはははは

ひらがな多め

よおーーーし!

黒歴史で人生を埋めるぞっ☆

てな感じで

第一回の
『異性の身体に触れる』ばりに


思わせぶりの!!!

クソ女だな!!!!

って

思わせてやりますよ!!!!!


ま、

わたしなんですけどね!!!!!

 


時は遡りまして中学時代。

季節は忘れた。

あ、みなさん
どこかのお酒飲ませよう的なコールみたいに
「なーに言ってんの」
って突っ込みながら読んでくれると

ありがたみ〜〜〜〜〜〜

 

これは自称なんですけど
ありがたいことに
小学生の頃の私はま〜〜〜〜〜〜あ
異性にモテまして

中学生の序盤もまあまあモテまして

中学生の終盤に差し掛かる辺りで

「最近告白されてないなあ」

なんてことを
思ってたんですね


「最近告白されてないなあ」

って

やべえよね

字ヅラでもやべえけど

声に出して言うともっとやべえから

単純にオススメ。

 

で、

ここはいっちょ!

と思った私は

「誰かに私のことを好きにならせよう!」

と思い立ちました。

 

「ほんと」

「お前」

「何言ってんの?」

 

ほんそれ〜〜〜〜〜〜 (真顔)


そうでもない?

そうでもないと思った人


握手しに行く。


ちなみに私はやべえと思うよ

まずその自信どっから来たん

 


当時の私は
ソフトボール部の部長をやらせてもらってたり
生徒会書記をやらせてもらってたり


まーーーーーーあ


相当な真面目キャラだったと思います。多分

あ、勉強もできました。


自慢かよってね。


けど、


過去の栄光ほど


他人からしたらどうでもいい話って


ないよネ☆

 


そんなこんなでちょっくら私、

クラスの男の子の前で


天然を

かまそうと

思い立ちました

 

「なーに言ってんの?」

どこかのお酒飲ませよう的なコール


使いどころっすね。

 

≪実録≫


掃除の時間、

教室の後ろにある
木でできた掃除ロッカーを開けようと
試みたところ

開かない。

近くにいた男子に
「開かなくて」
と言ったら

男子が普通に開けて
「え、開くよ?」
となって

私、木のロッカーの扉に隠れて
照れ笑いをしました。

その場にいた男子2人、
「何やってんのあんどう 笑」
みたいな感じで

笑っておりました。

 


あ、実録終わりです。

 

ま、ざっくり言うと

木のロッカーの開け方をど忘れしたという謎の天然をかまし

男子に開けてもらって

「天然かましちゃったわ〜〜照れる!」

みたいなことをしたんですね


やばい奴だね

正直に引いた人後で教えてください

 

けどまあこれが当たりまして


こののち

このときに笑ってくれた男の子2人に


告白されます。


そして


振りました。

 

はーーーい最低〜〜〜〜〜〜

全国の男の子全員から

死んでくれ〜〜〜〜って声が

聞こえてきますね〜〜〜〜〜〜?


(しかと受け止めます)

 

かました天然はもう記憶に薄くて
多分こんな感じだった。おう。

 

いや本当に

純粋に最低じゃない?

男の敵っていうか

人類の敵じゃない?

この2人の男の子のことを
純粋に好きでいた
女の子がいたとしたら

こんな女に気持ちを持ってかれたとか

ほんとしんどくない?

好きでもない人に

思わせぶりなことすんなよって

思わない?

思うよね?

ま、わたしなんですけど (滝の汗と涙)


けど多分

こんな女が

気持ちをかっさらっていくんだよね

あざとい奴が

この世の中勝っていくんだよね

可愛いは正義

私もキザな人大好きだもん

あ、それは関係ない?

そう!

女は!

あざといんです!

…あざとくない人もいらっしゃいますよね

すみません

けど、こういう人もいます(土下座)

そして、あざとさは好きでもない人にも使う場合があります(スライディング土下座)

可愛いは、作れる!

と同時に

天然も、作れる!

 


最低すぎ。

ほんとすみません

 

 

 

今の私は

そんなことしようとも思わないし

好きな人にしか

好き好き攻撃はしないですけど


好き好き攻撃


ほんと土下座の思い。

2人の清い男の子に

ごめんごめんありがとうごめんくらいの
バランスで

謝りたいです。

突然のback number

謝る気ねえな

 


けど

嬉しかったよ

好きだって言ってくれた男の子

もう1人

好きだって言ってくれた男の子

ほんとうに

ありがとう

 


そしてここからが個人的に大事


そんなあざといことをした私は!


生きてきて今まで!!


好きな人に!!!


振られたことしかありません!!!!

 

おう。

やっぱね、

酷い行いをした報いは

ちゃんと返ってきてますよ。


(いやそれ報いじゃなくてお前がピーーーーーーでピーーーーーーだからじゃね?)

って思った人、

いるよね……

てか思ってくれる人いたら

なんか嬉しいな…

そして教えてくれたら助かります。

顔面工事しろ、でも

…う、受け止め…たい…


あ、ちなみにわたし
高校のとき
学年で一番可愛い(と私が思っている)
女の子に

「あんどうは変だからモテないんだよ」

って

真顔で言われたことあります。

しんどみ。

けどその

ってのが

自分ではイマイチ分かっていないところが

本当にダメなんだろうと思います

過剰なロマンチストであることは

しかと認めますけど

あ、ちなみに顔面工事は肯定派!

お前に肯定されなくてもするわ

って感じだな。

 

あと

「好きです」って
メールで言おうが
電話で言おうが
直接言おうが

どれもやっぱり

重たいものだなって思います


LINEでの告白だって

相当勇気が要ることだよね

 

と、

好きな人に振られてから

初めて

今まで告白してくれた人の勇気に

気づいたりする

あんどうでした。


いや遅すぎ。


勇気を出してくれてありがとうって

とてもとても

思ってる

センセイ君主」のあゆはなんて

超かっこいいよ

 

今はもう

好きな人にしか
好き好き攻撃はしないし

ま、

好き好き攻撃が実ったことは

ないんですけれども


それでも

いつか来たる好き好き攻撃が実る日を夢見て


あざとさの研究をしていきたい


そう思う

あんどうでした。


…いいのかこれで

 


けど!

あざとさは嬉しい!

ときめきは嬉しい!

私のことが好きでなくとも

みなさん


どんどん私を

あざとさの練習台にして欲しい!


みんな

どんどん私に!

甘ったるい台詞を

かけてくれ!

あわよくば落ちる!

男女は問わない!

 

そしてちゃんと

「今の最高だったわ〜〜」

「今のはチャラいわ〜〜」

とジャッジしたいと思います


…私にジャッジされてもじゃない?

わかりみ〜〜〜〜〜〜

 

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ブタのような天使のような

生き物に見えた写真

 

 

 

最後まで読んでくださいまして
ありがとうございました☺︎